月曜日, 1月 18, 2010

there but for the grace of God go I(神のご加護がなければ、私もああなっていた)

阪神大震災を思い出さずにはいられないこの時期に、まさかのハイチの大地震。しかも国家が全く機能停止に陥っている。その事態に際してオバマ米大統領が口にした「神のご加護なかりせば、あれは私たちの姿だった」ということわざは、この時期の日本人にはことのほか深沈と響くものです。

阪神大震災から15年。私は被災者ではありませんが、当時、新米記者として発生当日から数カ月にわたって被災地取材をしました。とは言え、自分は何かの役に立つわけでもなく、むしろ被災した方たちに迷惑ばかりかけたのではないかと、そんな忸怩たる思いを持ち続けています。

あれ以来、同じ1月のこの時期に世界は二度も、悲惨な地震被害を目の当たりにしてきました。ひとつはスマトラ島沖地震。そしてもうひとつが今回のハイチ地震。

阪神大震災の時、誰もが経験したことのない規模の被害を前に、政府と自治体の指揮系統も未確立で、後から非難される対応のまずさは色々とありました。けれども現場で取材していた人間としてひとつ言えるのは、現場はみんな必死だったということです。自治体の人たちは自らも被災者でありながら、住民の救出や生活復旧のために駆けずり回っていました。

身を切るような困難や悲劇があり、悲しみは今も続いている。それでも無政府状態にはならなかった。それはまがりなりにも日本が国家として成立しているおかげだったと、今回のハイチ地震の報道をみながらつくづく思います。

英語には「there, but for the grace of God go I」ということわざがあります。「神様のご加護・恩寵がなければ、あれは私の姿だった、私もああなっていた」という意味です。運と不運を分けるものを「神の加護」と呼ぶか「ただの偶然」と呼ぶかは人それぞれでしょう。けれども、被災地の悲惨を伝えるテレビ画面の向こうとこちらを分けるものは、人智を超えた不可思議なものだという思いは、普遍的なのではないでしょうか。

そしてオバマ大統領も14日、この表現を使って、ハイチ支援を約束しました。「私たちはみな同じ人間だ。それ故に私たちは南の隣人たちと連帯して立つ。神のご加護なかりせば、自分たちもああなっていたと知っているから(for the sake of our common humanity, we stand in solidarity with our neighbors to the south, knowing that but for the grace of God, there we go)」と。

「リトル・ホワイトハウス」とあだ名されていた大統領府のドーム屋根がそっくり崩れ落ちてしまった映像は、ハイチの状況を象徴するようなものだと、複数の英語マスコミが書いています。たとえばロイター通信は、苦しむ国民の前に全く姿を現さないプレヴァル大統領を「オズの魔法使い」のようだと呼んでいます。偽魔法使いが支配する国か、まがりなりにも国民に責任を持つ政治家が統治する国か。それがハイチと日本の違いです。

「砂糖菓子のように白い大統領府が崩壊し、その前に家を失った何千人ものハイチ人が非難している様子は、奇妙なほど象徴的だ。実際には、首都で最も広い屋外スペースだからここが避難村となったわけだが、大統領府の前に集まる市民たちは大統領に出てきて、国民を安心させてくれと訴えているかのようにも見える」とロイターは書いています。

けれども「オズの魔法使い」のように大統領は出てこない(空港近くの警察署にこもっているとか)。政府は機能停止状態で、あちこちにゴミや排泄物が山積み。食糧や飲み水の配給もなく、傷病者の治療もろくにできていないのだと。

タイム誌によると、地震発生から5日たって未だに政府が全く機能しない中、商店や倉庫からの盗難は横行、わずかな食糧の奪い合いも多発。ギャング団が街をうろつき回り、日没後は外にいると危険だと。「多くのハイチ人は巨大アメリカの介入を嫌がるどころか、早くアメリカに来てもらいたい、自分たちの国をアメリカに動かしてもらいたいと期待してる」と書いています。

国立サッカー競技場の避難所にいる33歳理容師は「アメリカ兵士に大挙して来てもらいたい。支援金は1ドルたりともこの国の政治家に渡したらダメだ。連中は泥棒するに決まってるから。白人に来てもらって直接配ったらいいんだ」と話します。アメリカで働き、ハリケーン・カトリーナでも被災したというこの男性は、散々に批判された当時の米政府の対応でも今のハイチ政府の対応に比べたらお手本のように見事なものだったと話しているとのこと。

自宅が全壊した英語教師は「ハイチはアメリカの一部だ。オバマにこの国を取り仕切ってほしい」と話しているとのことです。「彼が黒人だからじゃない。いい人間みたいだからだ」と。

もしこれが大多数のハイチ人の思いなのだとしたら、それこそが悲劇だと思います。どんなに自分の国に呆れたり嫌気がさしたとしても、外国に国家運営を任せてしまえと思う心理状態は、戦後生まれの私にはなかなか実感ができません。その絶望のあまりの深さにこそ、途方に暮れます。

とは言うもののハイチは、米政府が擁立した大統領が2004年に倒されて以来ずっと政情不安が続き、マイアミ沖から1100キロ余の距離にありながら米政府もほとんど見捨てていた国です(石油が出るとか冷戦後の米戦略にとって戦略拠点だったりしたら、放っておかなかったはずですが)。

アメリカは伝統的に、中南米を「裏庭」扱いする強権外交を展開するか、さもなければ全く無視するかの両極端を繰り返してきました。そのアメリカでは連日、ぶっ続けに近いハイチ報道が続けられ、目を覆いたくなる惨状を前に広く「soul-searching」 がされている様子です。これは直訳すれば「魂を探す、魂の中を探る」で、「自らの良心を問う」という意味。災害発生直後の救援に加えて、今後のハイチにお いてアメリカはどういう役割りを負うべきかという自問自答です。イラク、イラン、アフガニスタンと外交課題山積の現状で。

オバマ政権は前述のように支援を約束し、ハイチ救援に1億ドル(約91億円)の拠出を表明。ブッシュ、クリントンの歴代大統領に募金活動の先頭に立つよう依頼し、5000人規模の軍部隊派遣を発表しています。一部の保守派は「そんなことをしている場合か」と批判していますが、ニューヨーク・タイムズは「テレビ局のカメラが引き揚げた後にも、アメリカがハイチ復興のため力こぶを振るうのかどうか。その方がよほどもっと重要な問題だ」「政府は、ほかの重要案件を犠牲にすることなく、ハイチ復興をアメリカが支援するのは充分可能だと話している」と書いています。

好きか嫌いかは別にして、「我こそは自由世界のリーダー」を自認する国が存在して、その指導者たちは常に「神のご加護」を口にしながら「人道のため」に尽くすと言う。そういう政治の伝統は私たち日本人にはなかなか馴染みにくいものではあるのですが、水も食糧もなくギャングに怯える避難生活をしているのが自分たちだったら——と思えば、アメリカのアメリカらしさに皮肉な思いを抱くのは一時中止して、そして自分はどこの団体を通じて寄付をするか考えるまでです。

◇本日の言葉いろいろ
・there but for the grace of God go I = 神のご加護がなければ私もああなっていた

◇筆者について…加藤祐子 東京生まれ。シブがき隊と同い年。8歳からニューヨーク英語を話すも、「ビートルズ」と「モンティ・パイソン」の洗礼を受け、イギリス英語も体得。怪しい関西弁も少しできる。オックスフォード大学、全国紙社会部と経済部、国際機関本部を経て、CNN日本語版サイトで米大統領選の日本語報道を担当。2006年2月よりgooニュース編集者。米大統領選コラム、「オバマのアメリカ」コラム、フィナンシャル・タイムズ翻訳も担当。英語屋のニュース屋。