水曜日, 8月 30, 2006

Teresa Teng



 台湾出身の演歌歌手、そしてアジアン・ポップスのパイオニア、テレサ・テン。日本/中国/台湾/東南アジア……と民族・国家の枠を越え、膨大な人々から愛されつづける大スターである。不慮の死を遂げた95年以降も圧倒的な人気を博す。その艶やかでいて柔らか、時に母性すら感じる歌唱は珠玉の極みと言えよう。幼少の頃より、歌手として活動。台湾で十分なキャリアを積み74年に来日、同年「今夜かしら明日かしら」にてデビューを飾る。そして2ndシングル「空港」がスマッシュ・ヒットを記録。これを機に日本における地盤を確固たるものにしていく。その後も地道な活動をつづけ着実に支持層を拡大していったテレサ、84年には「つぐない」がビッグ・セールスをあげ、大物歌手の仲間入りを果たす。以降、「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」と全アジア的ナンバーを次々と輩出していった。彼女のヒット曲を懐かしんでyou tubeからお聞き下さい。        

日曜日, 8月 20, 2006

ちょっと若返る本を読もう

リリアン
作:山田太一  絵:黒井健小学館 1,500円(税抜き)
男の子の前に、突然見知らぬ少女が現れた?。あなたは、はじめて大人の世界につま先をつけた瞬間を、おぼえていますか? 男の子が地面にマルを描いている。急に女の子が訊く。「このマルはなに?」。男の子が顔をあげると、まばたきをしないお人形のような顔。知らない子だ。男の子は、「このマルのなかへはいっちゃダメ」って言う。そして、ここからドラマが始まる。 もうすぐ一年生にあがろうという男の子が主役で、大通りから少し脇に入ったとこの小さな食堂の前の道が舞台だ。女の子はマルのなかに入りたがるが、男の子はダメと言う。ここはユウちゃんしか入れない。すると女の子は、すーっと宙に浮く。抱きあげたのは大きな男で、ちょっとこわい。大男はそのまま大通りのほうへいってしまう。 読者は、どきどきしながら男の子と一緒になりゆきを見つめ、ドラマの中に入っていくことになる。お話はファンタスティックに広がり盛り上がり、小さな謎解きがあって、再びあの大男が現れる?。四月。男の子は一年生になっている。そして、今度は劇場の楽屋口の石段に腰かけたあの大男を見かける。そんな二人の対話劇。 夢と本当はちがうんだ?と男は言う。男の子は口惜しいような、つまらないような、やりきれないような気持ちになっている。男の子は、大人への階段を一つ昇るのがやるせないのか。 女の子の名はリリアンだと聞かされたって……。 ??まるで山田さんのテレビドラマでも見ているように引き込まれる。そこを描く黒井さんの、やわらかで夢のようにぼうとした、そしてあの時代を偲ばせるセットの前で、ゆうらりと繰り広げられていく二人のドラマ……。 このところどっさりと出回っている、アイデアを絵でカバーしただけのような絵本とはちがって、これはしっかりとした物語絵本だ。たっぷりした読後感が広がる。この一冊をじっくり読み、黒井さんの絵の中に溶けこめた読者は、それこそ二人が作ったドラマの中に入っていったようなもの。出てくると、子供はちょっぴりトシをとり、大人はちょっぴり若返っている??ような感を抱かせる異色の一冊だ。二人の足許に大きなマルを描きたくなる。
 ☆今江祥智(いまえ よしとも)  1932年大阪府生まれ。教員、編集者のかたわら1960年に『山のむこうは青い海だった』を出版。小説、絵本、翻訳など著書多数。1990年までの作品は『今江祥智の本』全37巻(理論社)に収められている

火曜日, 8月 15, 2006

61年前の暑い日



 暦の上では立秋が過ぎましたが、今は一年の中で一番暑い時期を迎えています。
今日は終戦記念日です。 戦争と言う過ちを2度と繰り返さないよう、いつも世界の
平和を願っている一人です。

 61年前の今日正午、NHKラジオは天皇の肉声により日本の全国民に
日本が戦争に負けたという玉音放送を流し、終戦となりました。
ポツダム宣言は7月26日に発表され、日本はいったんこれを「黙殺す
る」と声明した上で、ソ連に対して和平を斡旋してくれるよう依頼する
が、この「黙殺」は海外では「無視」と誤訳されて報道され、8月6日
広島に原爆投下。斡旋を頼んだ相手のソ連は日ソ不可侵条約を破って9
日参戦。この日長崎にも原爆投下。

 頼みのソ連まで参戦したのではどうにもならないとしてポツダム宣言受
諾を主張する東郷外相らに対し、阿南陸相らは抗戦を主張、結論が出ず
深夜に昭和天皇の判断を仰ぐ。天皇は即座に「外相と同じ意見だ」と言
い、このままでは日本という国がなくなってしまう。ここは忍び難きを
忍んで降伏するしかない、と補足される。

 8月10日にこの方針を連合国に通知すると、「降伏のときより天皇およ
び日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かる
るものとす」。と12日に返事がある。この条項を巡って再び抗戦派が
これでは国体の維持ができないと反発し再び紛糾。しかし紛糾している
内に連合国は14日、日本に通知した内容を明記したビラを飛行機から撒
いた。慌てた政府は再び天皇のご意見をお伺いしたいと連絡、10時再度
の御前会議が行われた。

 「私の考えはこの前と同じだ。これ以上の戦争継続は無理である。この
降伏によって日本が連合国に蹂躙されたとしても種子の一粒でも残れば
再生は可能だ。しかし今のまま戦い続けたら日本は完全に抹消されてし
まう。明治天皇が涙を呑んで三国干渉を受け入れた時の気持ちがよく分
かるようだ。私がすべきことがあれば何でもする。国民に私が呼びかけ
るのがよければすすんでマイクの前に立とう。将兵には動揺があるだろ
うが必要なら自分が説得に当たる。詔を出す必要があるだろうから政府
は早速起案して欲しい。」

 泣いていた阿南陸相に、天皇は「大丈夫だよ。きっと何とかなる」と優
しく声を掛けられる。午後、NHKの録音班が5人呼ばれた。

 「重大な録音があるので」としか言われなかった。最新式の録音機を2
セット持って宮中へ。録音は2台の録音機で同時に行った。念のため2
回取ったので計4組の玉音盤ができる。録音作業は午後11:25頃から
15日1:00頃までかかった。これは皇后官職事務官室の金庫に収められた。
録音を終えたNHKの職員が宮中を出ようとした所、兵隊が彼らを拘束
監禁した。終戦に反対する反乱軍であった。午前2時から3時頃にかけて
反乱軍が皇居を占拠、玉音盤を探すが見つからない。まさか女官の部屋
にあるとは思わなかったためである。更に午前4時頃、反乱軍は放送会館
をも占拠する。

 午前5時頃、田中東部軍司令官が反乱軍鎮圧に乗り出す。5時半、阿南
陸相が自殺。8時頃までに反乱軍は鎮圧或いは自主退出する。8時半、
玉音盤が搬出され放送会館へ。この日の各新聞朝刊にポツダム宣言受け
入れの報が書かれていたが玉音放送を待つため配達は差し止められていた。
午前11時、憲兵中尉が放送会館に乱入して放送をやめさせようとするが
取り押さえられる。正午。時報に続いて「ただ今より重大なる放送があ
ります」と和田信賢アナウンサーの声。この日は通常昼間の送電がスト
ップされていた地方にも電気を流しておく指示が行き届いていた。

 君が代のレコードが流れた後、「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み
非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、故に忠良なる爾臣民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告
せしめたり…」天皇の肉声が流れた。

 涙を流す者あり、自刃する者あり、この日、日本は天智天皇の白村江の
戦い以来の敗戦というものを味わいました。しかし天智天皇がその敗戦
の後で日本の基礎を築いたように、日本国民はこの敗戦をバネに日本を
経済超大国へと成長させていく。

 日本の戦死戦病死者数155万人、一般国民の死者数30万人。
 
 この数字が本当にどの程度の真実を伝えているのかは定かではない。

日曜日, 8月 13, 2006

癌との壮絶な闘い



  森 千夏 Chinatsu Mori プロフィール
1980年5月20日東京都生まれ。169cm88kg。清新二中で砲丸投げを始める。3年生のときに全日中で3位。東京高校に進み、1年生で国体少年Bに優勝。2年生でインターハイ6位、3年で1位。99年国士舘大学に入学すると1年生のときに15m07を記録、2年生の春に16m43の日本記録を樹立。4年生の11月に浜松中日カーニバルで17m39と、日本選手で初の17mを突破。2003年に実業団のスズキ入り。第一人者として活躍し、日本記録を9度更新。2004年に日本女子初の18メートル台となる、18M22の日本記録をマーク。 女子砲丸投げの選手としては40年ぶりのオリンピック出場(アテネ)を果たした。同オリンピック直前から腹痛を訴え、成績の結果は振るわなかった。その後、各病院で診察をしてもらったものの、なかなか原因が分からなかったようですが虫垂癌と判明した。
  「壮絶な闘い」と「復帰の夢」
 癌との壮絶な闘いを日記に綴り、次の北京オリンピックに復帰の希望をかけたが夢叶わず、今月9日午前10時36分、26歳という若さでこの世を去りました。今後の活躍が期待されただけに非常に残念でたまりません。
  心よりご冥福を祈ります。

金曜日, 8月 11, 2006

今日からグーグルブログ始める


 いつの間にか、訳の解らぬままグーグルブログを始めることになってしまいました。
 これから、自分の思うまま、気の向くままにブログに綴っていきたいと思います。偶然にご覧になられた方は気にせず適当に読み流してください。
 今年の8月は、広島・長崎に原爆が投下され61年を迎えます。このことは月日が何年流れようが歴史から消えることはないでしょう。私たちは戦争の経験はありませんが、親から子へ、子から孫へと戦争の悲惨さを語り継いでいく義務があると思います。
 21世紀を迎えた今現在でも、世界のどこかで戦争が絶える事がありません。人間はこの世で一番賢くもあり、また愚かな生き物でもあります。この賢さを「世界の平和」のために皆で使うことが出来たら、本当に素晴しいことだと思います。
 国という小さな単位ではなく「地球は一つの国」であると考え、二度と同じ悲劇を繰り返さないようにしていけたらと考えます。
人間個々には難しいことでも、皆で考えれば素晴しいアイデアが生まれてきます。過去の歴史上の人物にも立派な人が数多くいますし、これからもいっぱい出てくると思います。
  宇宙の一つ「地球国」の平和のために未来を信じ、戦争というものがなくなる日を切に願ってやみません。