日曜日, 8月 20, 2006

ちょっと若返る本を読もう

リリアン
作:山田太一  絵:黒井健小学館 1,500円(税抜き)
男の子の前に、突然見知らぬ少女が現れた?。あなたは、はじめて大人の世界につま先をつけた瞬間を、おぼえていますか? 男の子が地面にマルを描いている。急に女の子が訊く。「このマルはなに?」。男の子が顔をあげると、まばたきをしないお人形のような顔。知らない子だ。男の子は、「このマルのなかへはいっちゃダメ」って言う。そして、ここからドラマが始まる。 もうすぐ一年生にあがろうという男の子が主役で、大通りから少し脇に入ったとこの小さな食堂の前の道が舞台だ。女の子はマルのなかに入りたがるが、男の子はダメと言う。ここはユウちゃんしか入れない。すると女の子は、すーっと宙に浮く。抱きあげたのは大きな男で、ちょっとこわい。大男はそのまま大通りのほうへいってしまう。 読者は、どきどきしながら男の子と一緒になりゆきを見つめ、ドラマの中に入っていくことになる。お話はファンタスティックに広がり盛り上がり、小さな謎解きがあって、再びあの大男が現れる?。四月。男の子は一年生になっている。そして、今度は劇場の楽屋口の石段に腰かけたあの大男を見かける。そんな二人の対話劇。 夢と本当はちがうんだ?と男は言う。男の子は口惜しいような、つまらないような、やりきれないような気持ちになっている。男の子は、大人への階段を一つ昇るのがやるせないのか。 女の子の名はリリアンだと聞かされたって……。 ??まるで山田さんのテレビドラマでも見ているように引き込まれる。そこを描く黒井さんの、やわらかで夢のようにぼうとした、そしてあの時代を偲ばせるセットの前で、ゆうらりと繰り広げられていく二人のドラマ……。 このところどっさりと出回っている、アイデアを絵でカバーしただけのような絵本とはちがって、これはしっかりとした物語絵本だ。たっぷりした読後感が広がる。この一冊をじっくり読み、黒井さんの絵の中に溶けこめた読者は、それこそ二人が作ったドラマの中に入っていったようなもの。出てくると、子供はちょっぴりトシをとり、大人はちょっぴり若返っている??ような感を抱かせる異色の一冊だ。二人の足許に大きなマルを描きたくなる。
 ☆今江祥智(いまえ よしとも)  1932年大阪府生まれ。教員、編集者のかたわら1960年に『山のむこうは青い海だった』を出版。小説、絵本、翻訳など著書多数。1990年までの作品は『今江祥智の本』全37巻(理論社)に収められている

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