火曜日, 8月 15, 2006

61年前の暑い日



 暦の上では立秋が過ぎましたが、今は一年の中で一番暑い時期を迎えています。
今日は終戦記念日です。 戦争と言う過ちを2度と繰り返さないよう、いつも世界の
平和を願っている一人です。

 61年前の今日正午、NHKラジオは天皇の肉声により日本の全国民に
日本が戦争に負けたという玉音放送を流し、終戦となりました。
ポツダム宣言は7月26日に発表され、日本はいったんこれを「黙殺す
る」と声明した上で、ソ連に対して和平を斡旋してくれるよう依頼する
が、この「黙殺」は海外では「無視」と誤訳されて報道され、8月6日
広島に原爆投下。斡旋を頼んだ相手のソ連は日ソ不可侵条約を破って9
日参戦。この日長崎にも原爆投下。

 頼みのソ連まで参戦したのではどうにもならないとしてポツダム宣言受
諾を主張する東郷外相らに対し、阿南陸相らは抗戦を主張、結論が出ず
深夜に昭和天皇の判断を仰ぐ。天皇は即座に「外相と同じ意見だ」と言
い、このままでは日本という国がなくなってしまう。ここは忍び難きを
忍んで降伏するしかない、と補足される。

 8月10日にこの方針を連合国に通知すると、「降伏のときより天皇およ
び日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かる
るものとす」。と12日に返事がある。この条項を巡って再び抗戦派が
これでは国体の維持ができないと反発し再び紛糾。しかし紛糾している
内に連合国は14日、日本に通知した内容を明記したビラを飛行機から撒
いた。慌てた政府は再び天皇のご意見をお伺いしたいと連絡、10時再度
の御前会議が行われた。

 「私の考えはこの前と同じだ。これ以上の戦争継続は無理である。この
降伏によって日本が連合国に蹂躙されたとしても種子の一粒でも残れば
再生は可能だ。しかし今のまま戦い続けたら日本は完全に抹消されてし
まう。明治天皇が涙を呑んで三国干渉を受け入れた時の気持ちがよく分
かるようだ。私がすべきことがあれば何でもする。国民に私が呼びかけ
るのがよければすすんでマイクの前に立とう。将兵には動揺があるだろ
うが必要なら自分が説得に当たる。詔を出す必要があるだろうから政府
は早速起案して欲しい。」

 泣いていた阿南陸相に、天皇は「大丈夫だよ。きっと何とかなる」と優
しく声を掛けられる。午後、NHKの録音班が5人呼ばれた。

 「重大な録音があるので」としか言われなかった。最新式の録音機を2
セット持って宮中へ。録音は2台の録音機で同時に行った。念のため2
回取ったので計4組の玉音盤ができる。録音作業は午後11:25頃から
15日1:00頃までかかった。これは皇后官職事務官室の金庫に収められた。
録音を終えたNHKの職員が宮中を出ようとした所、兵隊が彼らを拘束
監禁した。終戦に反対する反乱軍であった。午前2時から3時頃にかけて
反乱軍が皇居を占拠、玉音盤を探すが見つからない。まさか女官の部屋
にあるとは思わなかったためである。更に午前4時頃、反乱軍は放送会館
をも占拠する。

 午前5時頃、田中東部軍司令官が反乱軍鎮圧に乗り出す。5時半、阿南
陸相が自殺。8時頃までに反乱軍は鎮圧或いは自主退出する。8時半、
玉音盤が搬出され放送会館へ。この日の各新聞朝刊にポツダム宣言受け
入れの報が書かれていたが玉音放送を待つため配達は差し止められていた。
午前11時、憲兵中尉が放送会館に乱入して放送をやめさせようとするが
取り押さえられる。正午。時報に続いて「ただ今より重大なる放送があ
ります」と和田信賢アナウンサーの声。この日は通常昼間の送電がスト
ップされていた地方にも電気を流しておく指示が行き届いていた。

 君が代のレコードが流れた後、「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み
非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、故に忠良なる爾臣民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告
せしめたり…」天皇の肉声が流れた。

 涙を流す者あり、自刃する者あり、この日、日本は天智天皇の白村江の
戦い以来の敗戦というものを味わいました。しかし天智天皇がその敗戦
の後で日本の基礎を築いたように、日本国民はこの敗戦をバネに日本を
経済超大国へと成長させていく。

 日本の戦死戦病死者数155万人、一般国民の死者数30万人。
 
 この数字が本当にどの程度の真実を伝えているのかは定かではない。

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